幼少期・一鬼少年の受難
1、少年の悩み
今年中学に進んだばかりの、まだ子供と言って差し支えのない年齢である彼には、ある大きな悩みがあった。
それは物心ついた頃からずっと付きまとう、いわば彼にとっての、人生のテーマに等しい事柄だった。
そんなにも思い悩んでいるのならば、誰かに相談するべきなのだろう。
しかし、悲しいかな。
幼い彼の周りには、相談できる相手がいなかった。
相談できる相手、というか、きちんとした大人がいなかった。
「ひとちゃん、もらった」
誰しもの目を引く鮮やかな金髪を、肩の辺りまで伸ばした幼い子供が、手に何かを握っている。
大きな両目でこちらを見上げて、小さな手を開いて見せた子供の名前は、とら。
近所に住んでいる、幼馴染の子供である。
「・・・・誰からだ」
まるで悪意の欠片もなく、そう告げた子供に、重々しい口調で尋ねる。
近所でも評判の美少年(美少年と言うには、まだ幼すぎる気もするが)である目の前の子供は、その類まれなる美しい顔を、こくん、と横に倒して見せた。
「しらないおねえさん」
「しらねーヤツから、モノもらうんじゃねーっていつも言ってんだろ!」
とらの小さな手が握り締める、チョコレートと思しき包みをひったくるようにして取り上げる。
あ、と声を上げたとらは、しかし泣き出すでもなく、大きな目を包みに注いだまま、不思議そうな顔をしている。
その、警戒心の欠片もない態度に、思わず舌打ちが出そうになったとき、とらから取り上げた包みが、また別の手に取り上げられた。
一鬼が振り向くと、そこにはとらによく似た、派手な美人が立っている。
女は長く伸ばした金髪を無造作にかき上げ、おもむろに、自分の息子であるとらの前にしゃがみ込んだ。
そして、咥え煙草のまま、真顔で言う。
「ばっか、とら。もらうんなら、金になるもんもらって来いよ」
「そうじゃねーだろ!!」
とんでもないことを言い出す大人に、何度目になるか解からない言葉を叫ぶ一鬼。
一鬼は痛む頭を抱え、そこで不思議そうな顔をしたままのとらに向き直る。
一鬼の悩みの種は、このかわいらしい子供だけではない。
「イズナはどうした」
もはや睨み付けん勢いで言う一鬼にも、もはや慣れっこのとらは、その凶悪な表情にも怯える素振りも見せず、また、こくん、と首を倒して見せた。
この無邪気な仕草が、その辺りの女どもを惑わすのだ。
いくら美しいとは言え、年端も行かない子供相手に、目の色を変えて群がる女どもの気が知れない。
「さっきまで一緒にいたけど」
「けど、何だ!?一人でふらふらすんなって、いつも言ってんだろ!」
更に表情を険しくして、一鬼が怒鳴る。
そんな一鬼を、そこにしゃがんだまま見上げる派手な美女は、近所の幼子が行方知ず、という緊迫した状況にも、全くどこ吹く風で紫色の煙を吐いている。
一鬼は今度こそ舌打ちをして、とらの手を取った。
駆け出しながら、きょとんとしたままの子供に尋ねる。
「どのへんで遊んでたんだ」
「・・・えー?・・・・砂場?」
「何で疑問系なんだよ!今まで自分がいた場所だろうが!!」
大いに焦る一鬼を尻目に、状況を飲み込めていないとらは、いつも通り、適当な返事を返す。
まさしく、この親にしてこの子あり。
適当なのは、家系なのかもしれない。
「あー、ひとちゃーん!」
子供の走る速度に我慢できず、とらを抱きかかえて公園に駆け込むと、聞きなれた声がした。
安堵と怒りを同時に燃え上がらせ、一鬼が声の方に視線を向けると、そこには思ったとおり、目当ての幼い子供が立っている。
「・・・・・・友達か?」
もう一人の幼馴染である、イズナの前まで移動して、一鬼は口を開いた。
一鬼の鬼気迫る表情(地顔)を見て、イズナと手を繋いでいた女の子が、ビクッと肩をすくめたのが解かった。
「うん。もも組みの香苗ちゃん」
とら同様、大きなかわいらしい両目を一鬼に向けて、イズナが笑う。
もも組みといえば、年長クラスだったはずだ。
一鬼は無意識に、眉間にしわを増やしながら、そこで怯えた表情を浮かべている「香苗」ちゃんとやらを見下ろした。
言われて見れば年長らしく、少女はイズナよりもずいぶん背が高い。
少女は手を繋いだままのイズナに向き直り、言った。
「ねえイズナくん、明日の遠足、香苗と手を繋ごう?」
少女の言葉に、明日の幼稚園のスケジュールを思い出して戦慄した一鬼などお構いなしに、幼い子供の会話は続く。
「ごめんね、あしたは春名ちゃんと約束しちゃった」
「じゃあ、お弁当一緒に食べよう」
「ごめんね、それは裕香ちゃんと約束してるの」
「じゃあ、じゃあっ、今度一緒に幼稚園まで行こう!」
「うーん・・・・うん。いいよ。でも、あさっては梨花ちゃんと約束してるから・・・・月曜日ならいいよ」
ちょっとまて、今日は火曜日だぞ。
出かかった言葉を飲み込んで、一鬼はとりあえず抱き上げたままのとらを下ろし、イズナの手を引いた。
素直に一鬼のそばに寄ってくるイズナの、反対側の手を握ったままの少女が、一瞬、不機嫌そうに一鬼を睨みつけてくる。
それがまさしく、女の顔で、中学一年になったばかりの一鬼は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
女は生まれて死ぬまで、ずっと女なのだ。
奇妙なところで痛感しつつ、一鬼は未だにイズナの手を離そうとしない少女に向き直る。
「そろそろ家に帰る時間だろう。お母さんが心配してるぞ」
「香苗ちゃん、ばいばい」
説得するように言う一鬼の隣で、さっさと少女の手を振り払い、イズナがにっこりと微笑む。
少女は名残惜しそうな表情を見せたが、イズナにそう言われてしまっては頷くしかない。
小さな手を、ばいばい、と振りながら、公園を出て行った。
「・・・香苗ちゃんとは、仲良しなのか?」
「ううん?今日はじめて話したよ?」
少女の背中を見送りながら、一鬼が聞くと、イズナが不思議そうな顔をして、答える。
その無邪気な返答に、頭痛が重みを増した。
「イズナは友達、いっぱいいるな」
「おう。とらも仲間に入れてやろうか?」
「いい。お前の友達、ちょっとこわい」
背後から迫る夕焼けに、影が長く伸びていく。
両方の手に、幼い子供の手を握り締め、一鬼は家路を辿る。
頭の中はもはや、明日の子供達の弁当のことでいっぱいだった。
弁当は無論、キャラ弁でなくては許されない。
心の底からため息をつく一鬼少年の、受難はまだまだ続く。
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