昔、祖父の書斎で見つけた一枚の写真。
これは誰かと問うと、祖父は手元の洋書から目も上げず、野良猫だ、と一言答えた。
イトシノ
さして広くはないマンションのリビング、と位置づけされる部屋に寝転んで、不壊はぼんやり天井を眺めていた。
仰向けの胸の上には、小さな頭が耳を擦り付けるようにして、乗っかっている。
「兄ちゃん、いい加減重てぇんだが・・・?」
低く、湿った声で、自分に覆いかぶさる子供に声をかける。
子供は閉じていたまぶたを二三度瞬かせて、深い蜂蜜色の瞳をこちらに向けた。
不壊の心音にあわせて、ゆっくり交互に揺らされる子供の足先。
眠気を誘うリズムに、何もかもが億劫になり始める。
「じいちゃんが、死んだとき」
子供が不意に口を開いた。
まどろみから、少し呼び戻される。
その蜂蜜色の両目をじっと見つめ、子供の祖父の顔をぼんやり思い返してみる。
子供と同じような色をした彼の瞳は、いつも銀縁眼鏡の奥にあって、あまり温度を感じたことはなかった。
「おんなじようにして、音を聴いたんだ」
普段の子供からは、あまり想像できない、静かな声だった。
不壊は自分の胸にぴったり耳をつけたまま、こちらを見上げてくる子供を、何の感情もこもらない目でじっと眺めた。
大きな目はゆっくりと瞬きをして、まぶたに隠れるたびに、少し潤んで、まっすぐにこちらを見ている。
不壊も特に何も考えず、逸らさないままでいた。
どれくらいそうしていたのか、ふっと不意に子供が笑った。
「不壊って、人にじっと見られるの、嫌じゃねぇの?」
「そりゃ悪かったな、嫌だったかぃ?」
不壊が問うと、子供は小さく首を振る。
「不壊が嫌じゃないかと、思っただけ」
嫌じゃないなら、それでいい。とまた笑う。
子供は笑うと、少し眉毛が下がる。
隔世遺伝だ、とぼんやり思った。
「・・・・不壊」
名前を呼びながら、子供が目を伏せた。
それから少し体をずらして、不壊の胸に額を押し付けてきた。
小さな手が、服をぎゅっと握る。
「じいちゃんは不壊が好きだったんだって」
静まり返った部屋に、ポツリと落ちる。
「不壊も、そうだった?」
ぼんやり天井を見上げて、口を開いた。
「あぁ、まぁなァ」
眠そうな声で返すと、胸の上で子供が笑った。
小さな振動が、少しくすぐったかった。
「ごめんな、じいちゃん横取りしちゃって」
そう言って、いっそう強く服を握る。
震えるほどに力を込めた拳の感触をたどりながら、ふと思い出す。
真っ白になった髪の毛と、蜂蜜色の瞳をした男の面影。
音のない部屋で、午後のゆるい光に照らされて、いつも小難しい本を読んでいた。
何が面白いんだと問うと、男は首をかしげて、笑った。
普段はあまり表情のない人ではあったが、笑うと子供のような顔をする。
悪戯を思いついた子供のような顔。
実際、何度くだらない悪戯で驚かされたか知れない。
名門大学の教授さまが、聞いて呆れる。
そこまで考えて、眉間に刻まれていたしわに気付く。
あまり多いとは言えない思い出でも、思い返してみれば色々とあるものだ。
それから不壊は、最後に見た、男の横顔を想った。
小さな子供の手を引いて、幸せそうに笑う横顔。
陽だまりの中で、こちらとは違う場所で、笑う横顔。
あぁ、そうだ。
命日だ。
今日はあの男が、死んだ日だ。
「かまわねぇさ」
ゆっくりと、目を閉じる。
無意識に、子供の柔らかい髪を撫でながら。
「代わりに今は、兄ちゃんがオレのモンだ」
ざまあみろ、と記憶の男に悪態をつく。
胸の上で、子供がおかしそうに笑った。
不壊も笑いながら、今度は抱きしめるように両手で、髪を撫でた。
あの男の髪も、こんな感触だっただろうか。
かすかに脳裏を掠めた想いは、そのまま静かに、溶けて消えた。
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