眩しそうに目を細め、笑う娘は、
幸せそうに、泣いていた。
「とらちゃんはねぇ、お月さまなの」
こちらとしては、きちんとストーリーのある話ではあったのだが、どうやらまたおかしなことを言ってしまったらしい。
一瞬こちらを向いたそれは、明らかに奇怪なものを見る視線だった。
一瞬合っただけで、すぐに反らされてしまった顔は、あさっての方向に、そりゃァ光栄なことで。などと適当な相槌を打っている。
適当だろうと、せめてこちらを向いたまま言ってもらいたいものだが、どうせ聞いていない様子だからどちらでもいいか、と少女も慣れた様子で聞き流す。
「あ、うしおくんは太陽かなァ?うん、太陽っぽいなぁ。
とらちゃんもうしおくんもいつもキラキラしてるけど、そのキラキラ感がちょっと違うんだよねぇ」
誰も居ない図書室の中、棚に本を収めながら独りで喋る少女の姿は、傍から見ればかなり奇妙この上ないだろう。
だが少女は決して独りで喋っているわけではない。
彼女には、人に見えないはずのソレが、はっきりと見えているのだ。
少女の振り向いた先には、大きな金色の妖怪がカウンターの上に陣取って、大きな猫よろしくあくびをかみ殺して・・・
いや、明らかに退屈そうに大口を開けてあくびをしていた。
「うしおくんが居ないと退屈だねぇ」
したり顔で言ってやれば、ようやくその顔がこちらを向く。
金色の生き物は、鋭い目でこちらを睨みつけ、そんなわけあるか、と解かりやすくむきになって少女の言葉を否定した。
そんな、一般的に見れは凶悪この上ない妖怪の仕草に、思わず可愛い、などと呟いてしまう。
自分はやはり、どこかずれているのかもしれない。
最後の本を棚に戻し終わって、ぐるりと誰も居ない図書室を見回す。
古い紙と、微かなほこりの匂い。
カウンターの上のソレは、辛気臭くて嫌いだと言うが、少女はこの匂いが案外、嫌いではなかった。
むしろ、ほっと落ち着くような、この場所の静けさが少女は好きだった。
そして、そんな安堵感を、あの金色の妖怪にも、同じように感じるのだ。
ふと、窓の外に目をやれば、微かに紫に色づいた空に、真っ白な月が浮かんでいる。
真夜中、強い光を放つ金色の月は、魔物と対峙するときの激しい彼を、
そして、こんな白い月は、今のようにただぼんやりと寝そべる、穏やかな彼を想わせた。
「昔、ねぇ」
無意識に唇が動いた。
喋り始めた瞬間、しまったと思ったのだが、予想外に彼の目がこちらを向いたものだから、少女はそのまま言葉を続けるしかなくなってしまう。
きっとこんな話をしたら、また呆れたような顔をするんだろう。
でも、そんな呆れた表情も嫌いではないから、本当に救いようがない。
「まだ子供のころよ。
昼間に浮かんだお月さまが、あんまり近くに見えたから、追いかけようとしたことがあったの」
「・・・はぁ?」
思った通り、呆れ返ったように、妖怪が鼻にしわを寄せる。
寝返りを打ちながら、やっぱりあのバカとつるむヤツは、どれも同じようなもんだな、などど悲しいことを言ってくれる。
けれど、そんな反応ももはや想定内だった少女は、大して気にした風もなく、続けた。
「でも、近くに見えてもお月さまはずうぅっと遠くてね、どれだけ追いかけても、ぜんぜん近くに行けないの。
それでむきになって・・・、その内に私、迷子になっちゃったのね」
心細かったなァ、と呟きながら振り向くと、今までカウンターの上に寝そべって居たはずの金色の妖怪が消えていた。
目を丸くして辺りを見回せば、いつの間にか位置を変えて、今は本棚の上に乗っている。
両腕を枕の代わりにして寝そべる妖怪の長い毛が、さらりと滑り落ちて、少女の頬を撫でた。
それだけで、眩暈がしてまいそうになる。
あわてて距離をとろうとした少女を、妖怪の低い声が呼び止めた。
「それで?」
「・・・えっ?・・・あ、うん・・・」
びくっと肩を震わせて、真っ赤になった頬を隠すように俯く。
普段こんな近くで、彼と触れ合っている友人が、何で平然としていられるのかと、混乱する頭の片隅で疑問に思った。
それでも、元来おっとりとした性格の少女は、行動も仕草も、表面に出る表情までゆっくりしている。
だから、こんなに大焦りしていても、本棚の上から見下ろす妖怪の目には、いつもの自分となんら変わりなく映ってしまっているんだろう。
これは本当にいいときも、悪いときもあるが、今日はどちらかと言えば、後者かもしれない。
こんな性質だからよく、何を考えているか解からない、なんて言われるのだ。
中身は至極、単純明快なはずなのに。
「迷子になって、途方にくれてたら、うしおくんが探しに来てくれたの。
その時すごくほっとして、なんだかいっぺんに周りが明るくなったような気がしたんだ。
・・・だから、太陽みたいだなって・・・」
「ふぅん・・・」
「でも私、何でお月さまなんて追いかけたんだろうね・・・届くはずないのになァ」
思わずそんなことを呟いて、いつものように首を傾げて笑う。
それと同時に、またさらりと、妖怪の毛が頬を撫でた。
今度こそビックリして、動きが止まってしまった。
目の前にある妖怪の顔が予想していたより近くて、心臓が一気に悲鳴を上げる。
「そんじゃぁもう、迷子になることもねーだろ」
すごく近くで、妖怪が言った。
それから首をかしげて、大きな口にからかうような笑みを浮かべる。
「オメーのお月さまは、ココまで降りてきてやったんだから・・・なぁ?」
「・・・・・ッ!!」
膝から力が抜けた。
そのままへなへなと座りこむ。
それでも、怪訝な表情に代わる妖怪から、涙で潤んだ目を離せない。
熱くなった顔を両手で庇うようにして、へらへらと緩んだ口を何とか覆い隔した。
「もう・・・やだ、不意打ち」
それでもはやる心臓と、一瞬で春になった脳内は、理性を簡単に吹き飛ばして、それはそれは嬉しそうな声ではしゃいでいる。
「そんなの、泣いちゃいそう」
そんなことを言って、笑いながら涙を浮かべる少女を、妖怪は依然怪訝そうな顔をで見下ろしている。
「ヘンな女・・・」
ボソリと呟く妖怪の声も、もはや耳に入らない。
気まぐれでも、冗談でも、妖怪の台詞が嬉しくてたまらなかった。
綺麗なお月さまは、案外あっさりと、手の届くところまで落ちてきた。
この気持ちはいつ、あの月に届くだろう
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